« 某所から | トップページ | 四人目のエルファバ »

春のめざめ公開ゲネプロ@自由劇場

某所よりお届けします(笑)
観劇し終わったところです!
詳細は急いで帰宅してアップしますが、とにかく想像以上の完成度です。
懸念していたあれこれも、かえって気にしすぎたくらいかな。
ステージシートお勧めですが、まずは普通の客席で全体の見えるあたりからがよいかと。何度も見るならいずれはステージシートね。

ここから帰宅後まとめの感想です。

すっかり初夏の陽気な熱~い午後、劇場前には、プレスや本日休演の俳優の皆さん、スタッフから大御所様(笑)まで、あまたの人でした。
ブログ記者招待ということで、お声がかかったのが29日。ブログ記者の出席者は全体で15人もいなかったように見えます。席割りが1階上手側端寄りで、分散されていましたので、到着順にその中から好きなところに座れましたが。
ちなみに私は前から4列目(席番上は5列目)端から三つ目。上手の奥が少し見切れるていどでしたので問題はないかと思います。一応ご参考までに。
一番前の席もありましたが、少しでも全体が見えた方がいいかなと思って、今回は遠慮しました。まぁ一列目なんて自分で席取るのは難しいからちょっともったいなかったかな(^^;))

キャスト表はやはりまだ公開してはいただけませんでしたが、帰宅後、メールにていただきました。一部だけ文章内でご紹介しますので、参考になればと思います(^^)
それと写真は劇団側から提供いただいたものです。
製作日誌で目にはしていたものの、実際に作りこまれた舞台のセットが目に新鮮。
レンガの壁の色が、舞台奥から両そで部分といわゆるカタカナのコの字型でこちらに向いています。(開口部が客席側ね)
からのステージの中央前面には空のイス。何やら衣裳が一枚掛けてありましたが、これは開幕するとわかります。
舞台後方には、生バンド5人が常駐。ピアノ、キーボード、ギター系、ベース、ドラムスと一列に配置されていました。
舞台前面は階段になっていて、ここは芝居の進行に合わせて効果的に使用されます。
両そで側にはそれぞれ、ステージシート。なんだか裁判の陪審員のような傍聴席のような感じです。出演者もここに座っています。ここから出たり入ったり、歌ったり。

ゲネプロとは、いわゆる総稽古のことで、衣裳をつけて、装置や音楽照明を本番の流れのままに行う稽古のことです(ゲネラル・プローベ)が、本日も公開はしているもののそれということで、途中やむを得ずストップする可能性もあります、との説明がありましたが、結果的には、一幕二幕ともに途中で止められることはありませんでした(^^)
オペラやオケでも、どうしても止めてそこで指揮者や演出から直しがあって、数小節前からやりなおしとかあることもありますが、今日はなくてよかった(^^) いやぁ、どこかで止まるのかしらとちょっとびくびくしつつ(^^;)
それにつけても、バンドと歌のバランスいいなあ。演者はもちろんのことですが、さすが四季の技術スタッフはやっぱ腕というか耳がいいや。安心して舞台に集中できますね。
ちょっとここんとこ、よその舞台見てて、役者のカツ舌がどうとかいうレベルとは別に、残念な思いをしていたので(苦笑)
全体にすごく聞きやすいナンバーで演奏もよいですね。やわらかいベースの音やときにはずんずん響くドラムス。キーボードとピアノにギター。オーケストレーションがとてもいいなと。こんな小編成なのに、足りないものがない。うん(^^) とても心地よい音楽。
役者を邪魔せずきちんと存在する彼らに拍手。カーテンコールも役者と一緒なのが(^O^)

本筋感想ね。なるべくネタばれ避けますが、難しいわね。
思春期と体の変化に本能的に、「何か違う」と感じる少女ベンドラ(林香純)。
19世紀末の子供の教育には、そんなあからさまな感情や気持ちに対する正直な言葉を持つ親はないだろう。「妊娠の原因」について、ただ単なる好奇心から知りたがるベンドラだけれども、コウノトリがもたらした、なんていうおとぎ話的な発想を受け入れるほど子供ではない。かといって、本当の「授かり方」を口にできるほど、いやそのようなことを言葉にするのは「はしたないこと」であろうあの時代の主婦に、説明を求めるのがどだいむりだと思うのだ。それは今の世の親とて、やはり口をはばかるだろう。
その説明シーンの、コミカルさ。本人たちはいたって真面目なのにね(^^)
あのエプロンの使い方うまいですね。親なりにうまく説明できたと安心してはみたものの、納得しないベンドラ。ごまかされた感がぬぐえないのは本能かしらね。
これに続く「ママ」のナンバーで少女たちが、「知りたい、教えて」と問いかける。Sa_photo01
進行につれて感じたのが、基本的にこの舞台も暗転があまりないのね。
次のシーンの役者が、舞台の端々にいて、マイクを移動したり登場したり歌ったり。
そのせいだろうか、展開がスムーズに感じました。

ベンドラたち少女の「ママ」のナンバーが終わると、男の子達の学校のシーン。
椅子が前後2列で3つづつ並んで、そこにグレーの制服姿の男の子達が着席。
この舞台て基本、自分のセットは自分で用意なのね。あとマイクも(^^)
ラテン語の授業で、いねむりをしていて間違った答えを言ったモリッツ(三雲肇)。彼をかばって教師に意見し、むちでたたかれるメルヒオール(柿沢勇人)。あれこれと大人の説教に男の子達の気分が高まってきて気持ちを爆発させるのが「ブチギレそう」のナンバー。(これも製作会見で発表されたもの)
これは椅子を使って飛びあがったり、男の子達それぞれの性格がよく出ているナンバーで、楽しい。躍動感にあふれているので、客席ももっとのりのりになるだろうな。
ちなみに男の子達が歌うのに、自分の制服の内ポケット?から出してきたのには驚き(笑) 内ポケットというよりは、警官の拳銃ホルスターのようになっているのかしらん? 落ちないものね。取り出しやすく、落ちにくく、工夫されているようですさすが。歌い終わるとまたしまうのがなんとも(笑)
Sa_photo02_2 こちらもやはり、頭にきてブチギレそうな理由というのは、女の子たちと同じで、思春期特有のもやもやや先生や大人の「都合」にはあわない自分たちの憤りだったりで見てるとかわいいですよね。ただ女の子達とちがって、もっと切実にもっと現実的だったりするところが、男性と女性との違いなのでしょうか。
それにつけても、男女ともに、
若手にこれだけがんがん歌える人がいるのがほんとにすごいな。四季の底力を見た気がします。特に男の子でもキーの高いナンバーがちりばめられていて、なのに苦もなく(少なくとも舞台上では)聞こえるこの安心感。
ガールズもボーイズもそれぞれのアンサンブルでダンサンブルなナンバーも、実に聞き応えあるし楽しい
唯一の大人役のお二人(中野今日子さん&志村要さん)の変幻自在さもぴしっとしめますね。さすがな方たちですもの。
シーンごとに、教師、メルヒオール&ベンドラの母、牧師、父、夫婦、と衣装は一部を除き同じなのに、雰囲気と声で変えてしまう力量。ベテランがこうしてびしっと決めてくださるから、若手もよりがんばれるのよね。全体に見ていて若手だけのシーンだからといって、見劣りしないんですよ。

今日ブログ記者席として指定されたあたりは、上手側でしたが、場面場面での表情やメルヒのお尻とかよく見えました
下手だとどうなのかな。わからないけどわりと上手側てお勧めかも? 正面とれないときはね。
役付きではないですが、上下のステージシートにそれぞれ二名づつ男女のシンガーさんがいますので、芝居の進行にあわせて歌ったり踊ったりうなづいたり(笑)するのでびっくりです。あの席に座っていたらびっくりして立ちあがっちゃうかも(笑)
この舞台の全体的な特徴としては、必要に応じてハンドマイクで歌い踊ることですが、真面目なシーンでも、マイクをいきなり取り出して、その時の役の気持ちを歌ったりするので、笑い声がこぼれるの。なんというか、思わず笑いつつ、でも嘲笑ではなくて、プっという感じかな

保守的で教会の力がまだまだ強くて、道徳的に生きるのが当たり前であったあの時代でも、保護者や教育者の言うことを言うがままに受け止められない、自分で考えることをあきらめない若者というのはやはりいるわけで、そういった、先生や親の教えてくれない疑問を自分で突き詰める探究心を持つ、メルヒオール。そういうことを間違いだとは思わない彼のとった行動が、悪気はないながらも、物語を進めていく。そして予想もつかない悲劇へとつながっていくのが悲しいね。あるいみ最後は「大人」への変化なのかな。
一幕でメルヒオールが日記に書き記していた「羞恥心とは、教育の賜物である」といったセリフがなるほどなぁと思ったり。

ハンシェン(一和洋輔)なんて、トイレであんなことしてながら、結局、あなたの嗜好はそちらですか! なんて思いもしたのですが、そういう、気まぐれや揺らぎも、あの年代特有のものなのでしょうかね。それにつけても、彼の風貌は、本当にドイツ人に見えます。
一番問題のシーンは、一幕ラストですが、これの「舞台」。よくああいうことを思いつくなと。
まわりにぐるりと人がいて、ふと役が抜けて我に帰って恥ずかしい気持ちになるようなことはないのかな(^^;)) などと、こちらが現実に戻されました(苦笑)
あっという間の一幕終了で、休憩をはさんで二幕突入。

二幕冒頭で、一幕最後の再現。
牧師が真面目な顔して説教しているその前で、あんなことを
なんて破廉恥な!て怒られそうね、やはり一時代前でしたらば。
見ているこちらもどちらに集中したらよいのやら(笑)

ベンドラが、「原因と結果」について母親に詰問されているシーンを見て感じたのですが、ああいうことをしてしまう子供って、なんというか単なる好奇心だったりするだけっていうのも、あるのかもしれないなと。エッチなことをしたいとか、悪いことをしたいと思わなくても、本能のままに結ばれてしまうということもあるのかもしれないと。精神的にはまったく子供の無邪気なまま。
だからこそ、そういうことをしたから、次の展開があるとは思ってもいないし知らない。
だから「相手ってなんの相手?」という言葉が返ってくるのだなと。
だから「私結婚してない」という言葉になるのだと。
「結婚」という象徴的な身分に代わることで=子供ができる、のだと。
このあと彼女の母親がとった行動が、痛ましい結果を呼ぶとは。。

さて二幕の一番の圧巻は、「ギャーギャー」とみんなで叫び踊り歌うシーンだろう。
親もみんなもギャーギャーうるさい、と、メルヒオールをはじめとする男の子達や女の子達、はては、ギャーギャーと怒っている大人までがいっしょに舞台上で大騒ぎ(^^)
ナンバーが終わっても、しばらくショーストッパーな拍手喝采でした(^^)

二幕終了までがとにかくあっという間でした。
見る前のあの緊張感はどこへ?! 
センセーショナルさと、きわどさと、前評判で見聞きしていたあれこれが、いやな緊張感をもたらしていたのですが、見続けていくうちに、「なんだぁ」と感じたのが正直な気持ちです。
いや物足りないとか、そういうことではなくて。
そういう面だけを強調しすぎでは?と感じました。
それは見ている自分の年齢がそうさせたのかとも思いますが、さりとて、年齢とは関係なく、やはり公衆の面前で見たいかどうか、ということを考えると、クローズアップされた部分だけを持ち出すと、避けたと思うのですよ、はい。
でも物語として見たときには、ぜんぜん問題ないなぁと。
ブロードウェー版を見ていないので、原版との演出上の変化などはわかりようもないのですが、これでも割と保守的な日本人だと思っているのですが(笑)、大丈夫かなと。
ちょっとどきっとしますけどね。そういう内容が含まれると事前に知っていくわけだし。

それよりも気になったのが、物語の都合。
あれこれの結果として、二幕中盤のベンドラがなぜ最後そうなったのか、意味がわからない人も多いかもしれませんね。あれも大人のエゴというか体裁というか。あんな理由の○○名なんて  あの頃はよくあったことなのかもね。そういう理由のを見つけたら案外ほんとはベンドラと同じだったりするのかもね。
そして、もう一点。ラスト、メルヒオール(東方の三博士の一人と同名なところにも意味がありそう)が迂回した理由が、いまいち甘いかな。まあ若者特有の熱しやすく冷めやすい部分といえばそうかなと、思いもしたり。
ほかにも、いまいち何をしているのか意味不明なシーンがありましたが、あれは説明するとやばいのかな(^^;)) わかる人にはわかるのかしら?

それにつけても、本番前だから、プログラムはないし(^^;))
チケット確保日は、ゴールデンウィーク後なので、まだまだ先です。
でもなにはともあれ、すんごく楽しい舞台ですので、ぜひ何度か見に行きます!
そして、一回だけでもステージシートに挑戦したいぞ~!
ステージシートはこれまでも未経験なのですが、客席から見ていると「エクウス」なんてある意味大変そうだなと思いましたが、あれほどの緊張感はないかな、と思うのですよたぶん。

自我の目覚め、ということなのかしらね。春のめざめ、て。

季節は、春からやってくるのです。
Sa_photo03

|

« 某所から | トップページ | 四人目のエルファバ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 春のめざめ公開ゲネプロ@自由劇場:

» 『春のめざめ』 公開舞台稽古 [みかん星人の幻覚]
『ウィキッド』の時にもあったのだが、『春のめざめ』でも、今日、舞台稽古が公開され [続きを読む]

受信: 2009年5月 1日 (金) 22:46

« 某所から | トップページ | 四人目のエルファバ »